寒川社長から下出新社長にバトンタッチ

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寒川社長から下出新社長にバトンタッチ

マンガン鋼製特殊軌条が苦境に陥った当社の救世主となりましたが、不況はさらに深刻化し、1930年下期には無配に転落しました。工場では合理化、操業時間短縮を敢行したものの事態は好転せず、1931年2月ついに在籍者の1割強にあたる50〜60名の解雇に至りました。そして、4月から常勤重役ならびに職員全員の減俸が始まり、その額は俸給100円以上は1割、100円未満51円までは5分、50円以下は3分に決まりました。

そして6月に開催された役員会において、1922年の(株)大同電気製鋼所発足時から経営トップを務めていた寒川社長が辞任を申し出、後任の第4代社長に下出義雄が就任しました。寒川社長は、創業者福沢桃介に電気炉製鋼業を進言するにとどまらず、その後の経営を司った当社創設時の功労者です。寒川社長は同時に木曽川電力(株)の社長も辞任し、東海電極製造(株)の経営に専念しました。

第3代社長 寒川 恒貞

新社長に就任した下出義雄は、初代社長下出民義の長男。一時は財界と距離を置いていましたが社長就任以降1946年までの15年にわたり、時勢に応じた拡大を成し遂げ、戦時中には社員数3万名を超し、17工場を擁する特殊鋼メーカーに成長させました。

第4代社長 下出 義雄
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