軍需増大に対応、工場の買収、新設進む

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軍需増大に対応、工場の買収、新設進む

1941年10月に富永鋼業(株)を合併した翌月、当社は日本内燃機(株)製鋼部を買収。1918年に創立された同社は1937年にアーク炉などの設備を導入し、窒化鋼の生産を手掛けていました。新たに発足した神崎工場(兵庫県尼崎市)は、航空機用窒化鋼を専用に生産する工場として発展を遂げました。

神崎工場(1944年)

続く同年12月には東邦製鋼(株)大江工場(名古屋市南区)の賃貸借契約がまとまり、1942年に宝生工場として操業を開始、鋳鋼品の生産拡充に応えました。しかし、1945年5月の名古屋南部地区大空襲により被災し、壊滅的な打撃を受け、そのまま終戦を迎えました。

1941年末、当社は海軍航空本部長から生産能力拡充の要請を受けました。翌年には海軍専用の四日市工場(三重県四日市市)の建設に着手、これとは別に東邦重工業(株)の東邦工場(三重県四日市市)を傘下に収めました。1945年6月には両工場が合体して四日市工場が誕生しましたが、その2ヶ月後に終戦を迎えました。

一方、陸軍専用工場として1943年には鶴崎工場(大分県大分郡)の建設がスタート。航空機用特殊鋼鍛造品の生産をめざして工場の建設が進められ、1945年1月に第1期計画工事がほぼ完了し、火入式も挙行。第2期計画工事も順調に進捗していましたが、まもなく終戦を迎えました。

各地で軍需増大に対応するための工場買収、新設が進むと同時に、合金鉄の需要も増大。これに合わせて、当社は宮古工場、石狩工場の新設に踏み切りました。1944年にはクロム鋼を採取する目的で雨竜鉱業開発(株)(北海道雨龍郡)を設立し、工場建設を進めたものの操業開始に至る前に終戦を迎えました。

雨竜鉱業開発(株)の砂クロム採掘(1944年)

また、特殊鋼鋼材の生産拡充を目的に内外綿(株)安城工場(愛知県碧海郡)を買収し、1944年には近代的な鋳鋼工場をめざして工場建設に着手。同年7月には操業を開始し、航空機用特殊鋳鋼品の増産を進めましたが、翌年には終戦を迎えました。

安城工場 3トン大同メタルス式アーク炉火入式(1944年)

このように当社は軍需の増大に対応するため、各地で工場の買収、新設を進めましたが、その役目を果たすことができぬまま終戦を迎えた工場が数多く存在しました。

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