グループ企業の系列化さらに進む

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グループ企業の系列化さらに進む

当社は経営規模の一段の拡大に伴い、グループ企業への経営参加による系列化を意欲的に進めました。

1961年、当社は工業炉部門の拡充を期して中央プラント工業(株)に経営参加すると同時に社名を大同プラント工業(株)に改称し、高蔵製作所が設計、大同プラント工業(株)が製作部門を担当することになりました。次いで関東地区の工業炉受注生産体制確立の一環で、日本窯炉(株)との共同出資により、同年大同窯炉(株)を設立。翌年には日本特殊機械(株)に資本参加して業務提携を結び、真空アーク炉をはじめ工業炉関係の製作据付けからアフターサービスなどを同社に担当させることになりました。これにより、当社の工業炉部門は、名古屋に大同プラント(株)、東京に大同窯炉(株)、大阪に日本特殊機械(株)を配置する体制を整備しました。

大同プラント工業(株)

大同窯炉(株)

日本特殊機械(株)

また、当社が中心となって誕生したものとして、木曽駒高原観光開発(株)、医療法人東海産業医療団があります。木曽駒高原観光開発(株)は石井健一郎社長の主唱により、名古屋地区の主要会社が中心に発起人となり、木曽駒高原を「中京の軽井沢」としてゴルフ場の建設を中心に観光開発するために1961年に設立され、その後1963年に木曽駒高原カントリークラブが発足、翌1964年に開場しました。東海産業医療団は、名古屋南部臨海工業地帯における病院コンビナートをめざし、1962年に東海製鉄(株)をはじめ同地帯進出の重化学工業11社によって発会し、設立されました。当社から現物出資の形で譲渡された大同病院付属横須賀大同病院の施設を主体に横須賀病院として診療業務を開始しました。

木曽駒高原カントリークラブ

東海産業医療団 横須賀病院

1962年には桜井興産(株)に経営参加。熱処理、機械両工場と商事部門を持つ同社のグループ入りにより、星崎工場の熱熱処理部門が強化されました。翌1963年には、志村化工(株)のステンレス鋼部門の生産、販売、技術面において提携を強化。続けて、砕石機メーカーの(株)中山工業所に経営参加、これを機に社名を大同中山工業(株)に改称しました。また、建材用ボルトナットの専門メーカー(株)西川製作所(現在の日星精工(株))に資本および技術支援を行いました。

桜井興産(株)

志村化工(株)

大同中山工業(株)

(株)西川製作所

1964年には型打鍛造の有力メーカー日本鍛工(株)に資本参加し、当社素材の安定供給と製品市場の調整を図りました。また、翌1965年には、(株)大同サービスセンター(2002年に(株)大同ライフサービスと合併)を設立し、名古屋地区の工場の売店経営から業務を開始しました。

日本鍛工(株)

(株)大同サービスセンター

かねてから当社は東海製鉄(株)からの溶銑によるビレットセンター設立構想を打ち立てていましたが、1966年に富士製鉄(株)、東海製鉄(株)と当社の3社の共同出資により、東海特殊鋼(株)を設立、続けて愛知製鋼(株)も参加しました。また、ネジの大手メーカー(株)三協特殊鋼ねじ製作所に経営参加し、特殊鋼素材の安定供給策を進めました。このように当社は安定需要確保のための資本参加、系列化を積極的に推し進め、グループ会社の数は20社を超す規模に拡大しました。

東海特殊鋼(株)
(点線枠内の一部が工場建設予定地)

(株)三協特殊鋼ねじ製作所

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