(株)大同電気製鋼所の誕生
1921年のワシントン軍縮会議、日英同盟の破棄は日本の鉄鋼業に多大な影響を及ぼし、主要鉄鋼各社は整理減資を進めました。大同製鋼(株)も厳しい状況に追い込まれる中、同社社長でもあり(株)電気製鋼所の社長を兼務する福沢桃介は、ともに名古屋の地に工場を有し、鋳鋼はじめ特殊鋼製造の道を歩む両社の合同を提唱しました。
結果、大同製鋼(株)は(株)電気製鋼所の製鉄製鋼部門である熱田工場、木曽福島工場の現物出資を受け、商号を(株)大同電気製鋼所に変更しました。大同製鋼(株)発足から1年も経たない1922年7月28日に新会社が設立され、電気炉製鋼業を福沢桃介に進言した寒川恒貞が社長に就任しました。
(株)大同電気製鋼所 社長 寒川恒貞
本店を熱田工場の所在地(名古屋市南区熱田東町)に移転し、大同製鋼(株)製鉄工場を築地工場、(株)電気製鋼所の木曽福島工場を福島工場に改称、そして熱田工場の3工場体制で(株)大同電気製鋼所はスタートしました。((株)電気製鋼所は商号を木曽川電力(株)と変更し、1942年の解散に至るまで電気事業を継続しました。)
(株)大同電気製鋼所 熱田工場
2社が合同する直前の決算情報
会社名 | 資本金 | 決算期間 | 売上高 | 損益 |
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大同製鋼(株) | 1,000,000円 | 1921年11月18日~1922年3月31日 | 72,475円 | -8,832円 |
(株)電気製鋼所 | 2,788,000円 | 1921年11月1日~1922年4月30日 | 401,344円 | 61,375円 |