星崎東工場を西工場に集約、熱田工場を閉鎖

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星崎東工場を西工場に集約、熱田工場を閉鎖

新大同製鋼(株)発足間もない1950年2月15日には過剰人員の削減を図るため希望退職者の募集を発表し、3月15日までに退職を申し出た者に対しては退職金の一時払いをする特別措置を講じました。その結果、新会社設立時の2月1日に4,373名いた従業員は6月末日には3,454名と1,000名近く減少、直接生産に従事しない非現業員の現業員に対する割合も26.6%から21.5%に低下しました。

一方、工場の整理統合においては、星崎東工場を西工場へ、熱田工場を築地工場へ移設集約する計画が始動。6月には星崎東工場から西工場へ10トンアーク炉3基の移設が完了し、また1949年7月以来閉鎖されていた安城工場も1950年4月に倉敷紡績(株)に売却されました。

星崎工場の集約においては、1949年9月に三井化学工業(株)から塩化ビニール製造を目的とした東工場の施設利用に関する提携が持ち込まれ、土地、建物、諸施設の利用についての覚書を交換。その後、話は進展し、東工場と滝春町の運動場など510,000㎡を超す土地に加え、建物、機械、構築物などの同社への売却がまとまり、8月には売買契約書が締結されました。

星崎工場 東工場を西工場に集約

熱田工場を集約するにあたっての鋳造設備計画については、普通鋳鋼品80トン、マンガンレール70トン、マンガン鋳鋼品30トンの月産計画を元に築地工場への移設集約が進められ、小物鋳造設備の移設を皮切りに1950年5月に完了、6月には移転を完結、6月10日に熱田工場は閉鎖されました。当社が創業した1916年に操業を開始して以降、30数年にわたり当社を支え続けてきた熱田工場は、その長い歴史に幕を下ろしました。

熱田工場 小物鋳造設備
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