相撲教室
暑い夏の名古屋を盛り上げるスポーツイベントといえば、大相撲名古屋場所ですね。
きょう十三日目の結びの一番では2敗で並んだ横綱日馬富士と綱とりを狙う大関稀勢の里が対決。日馬富士が寄り倒しで稀勢の里を倒し、優勝に向けて一歩リード。3敗の白鵬、稀勢の里、貴ノ岩の3力士が追いかける展開に。そして、十四日目には白鵬と稀勢の里が直接対決。賜杯をめぐる攻防から、まだまだ目が離せません。
ところで、当社は1962年1月に文化体育活動強化を目的に文化体育センターを設立。数多くのクラブ活動がスタートする中、相撲部も活動を開始。星崎工場に土俵を築き、多くの相撲部員がお互い切磋琢磨し合いながら相撲道に精進しました。そして1960年代には大相撲力士を招いて相撲教室を開催。今回は、写真を交えて当時の様子を振り返ります。
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第1回 1962年 6月20日
名古屋場所を目前に控える中、第1回「文化体育センター相撲教室」を星崎工場の土俵で開催。講師に時津風部屋から大関北葉山、豊山、豊国、青の里の幕内力士4名と、十両の時浪、若杉山その他5名の計11名という錚々たるメンバーを招きました。当社の相撲部員30数名が参加した相撲教室の観覧者は500名を超すほどの盛況ぶりでした。
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第2回 1963年 7月10日
名古屋場所後に片男波部屋(元玉の海)一門を迎え、親善野球と相撲教室を開催。野球は4-0で当社が勝利。玉嵐、玉の島、玉千房らが参加したユーモアあふれる相撲教室は爆笑の渦を巻き起こしました。
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第3回 1964年 7月10日
1963年に引き続き名古屋場所後に片男波部屋から片男波親方、玉の島以下20数名が来訪。親善野球は1-0で昨年に続き当社が勝利。そして、この年新たに即興として加わった種目は100メートル競走。両チーム全員が参加したレースの結果は、なんとなんと裸足でダッシュを利かせた相撲チームに軍配。その後に開催された相撲教室は片男波親方みずから土俵に上がり、相撲部員に激しい稽古をつけてくれました。
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第4回 1965年 7月13日
3年続けて片男波部屋一行を迎え、名古屋場所後に第4回相撲教室を盛大に開催。恒例となった親善野球を経て、関脇玉の島を筆頭に20名の新進気鋭の若手ぞろいと対戦。力の限り力士に立ち向かった相撲部員は、一発はたかれただけでアッという間に土俵外へ。当然ではあるものの、プロとアマの壁の差を痛感することになりました。
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第5回 1966年 6月24日
名古屋場所前に例年通り片男波部屋一行を迎え、親善野球をはじめ、当社の相撲部員に対する実技指導、模範取り口の紹介、力士同士の激烈な本番相撲から、五人抜き、三人抜きなどなど、明るく楽しい相撲教室が開催されました。
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第6回 1967年 6月23日
片男波部屋一行を星崎工場の土俵に5年連続で迎え、恒例となった相撲教室を開催。当日はあいにく小雨が降ったり止んだりの悪天候でしたが、いざ取り組みが始まると、雨など関係なく、ぶつかり稽古に夢中になった相撲部員たちでした。
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