幾多の困難を乗り越えた星崎工場
1937年、田畑が広がる名古屋市南区の干拓地に建設された星崎工場は、今まで二度の危機に遭っています。
一度目は、第二次世界大戦終戦(1945年)後。軍需用特殊鋼の生産が盛んとなり、日本最大の特殊鋼工場として発展したものの、終戦後は景気が低迷、存続の危機に立たされましたが、その後民需用への転換により再建されました。
二度目は、伊勢湾台風(1959年)。名古屋市南部を襲った大水害により星崎工場一帯は浸水し、多くの社員、家族が被災しました。しかし、社員の一致団結により2ヵ月後には完全復旧。流木が溜まり、海のようだった正門付近も、今では緑の芝が映え、夏にはホタルが舞い飛びます。
星崎工場正門付近(2012年)
水深は3メートルを超えた(1959年)
(ふれあいDAIDO 2012年10月号から)