変わりゆく工場の姿 川崎工場
当社の歴史には、「川崎工場」が2回登場します。旧川崎工場は1939年、日本が戦時体制に移行する中、バネ生産工場として川崎市北加瀬(現在の新川崎駅付近)に誕生。戦後も設備が順調に拡充され、バネ業界でも有数の地位にありましたが、不況による再編構想の中で1957年に大同発条(株)として分離独立、翌年、日本発条(株)に合併されました。
新川崎工場は、1976年の大同製鋼(株)、特殊製鋼(株)、日本特殊鋼(株)の3社合併に伴い、特殊製鋼(株)夜光工場を前身として誕生しました。操業開始は1966年、特殊製鋼(株)から棒鋼線材部門を独立分離し、八幡製鐵(株)との出資で八洲特殊鋼(株)を創立。1968年に特殊製鋼(株)と合併し、特殊製鋼(株)夜光工場となりました。
当社の川崎工場となってからは、知多・星崎工場に次ぐ鋼材工場としてステンレス鋼、工具鋼、チタン製品の小ロット難加工材を製造。しかし、生産構造改革を進める中で2010年に圧延工程を休止、翌年には圧延機能および熱処理などの二次加工部門を星崎工場へ移設し、45年におよぶ鋼材工場としての歴史に幕を閉じました。その後、2012年に高付加価値製品の加工専門拠点として「川崎テクノセンター」に改称され、新たな一歩を踏み出しました。



大正末期から昭和初期までは東京、川崎市民の海水浴場だった

(ふれあいDAIDO 2014年2-3月号から)