大同特殊鋼の歴史

history
1916
1.5トン エルー式アーク炉

1.5トン エルー式アーク炉製作、(株)電気製鋼所を設立

自社設計の1.5トン エルー式アーク炉を製作し、工具鋼の試作を進めました。この炉は現存する我が国最古のアーク炉であり、当社の社宝として知多工場に展示されています。試作研究の目処もついたため、名古屋電燈(株)から製鋼部を分離し、(株)電気製鋼所を設立しました。

1917
創業者 福沢桃介

創業者 福沢桃介が社長に就任

水力発電による余剰電力を利用した電気炉製鋼の事業化をめざして(株)電気製鋼所を設立した福沢桃介は、同社の第2代社長に就任します。その後、1922年7月の(株)大同電気製鋼所誕生に至るまで社長を務めました。また、この年に名古屋電燈(株)は製鉄部を設置し、電気製鉄の研究に着手しました。

1918

木曽電気製鉄(株)を設立

名古屋電燈(株)から製鉄部を分離し、木曽電気製鉄(株)を設立。製鉄工場(築地工場)が稼働を開始しました。

1919
木曽福島工場

木曽福島工場の操業を開始

木曽電気製鉄(株)は銑鉄から鋳鋼生産へ方向を転換し、商号を木曽電気興業(株)に変更しました。一方、電気製鋼所(株)は木曽福島工場をフェロアロイ専門工場として建設し、操業を開始しました。

1920
1.5トン エレクトロメタルス式アーク炉

1.5トン エレクトロメタルス式アーク炉を導入

木曽電気興業(株)は1.5トン エレクトロメタルス式アーク炉を導入し、鋳鋼の生産を開始しました。工具鋼、特殊鋼鋼塊の製造に注力するとともに鋳鋼の販路拡大に努めました。

1921
大同電力(株)名古屋製鉄所

大同電力(株)から名古屋製鉄所を分離し、大同製鋼(株)を設立

木曽電気興業(株)、日本水力(株)、大阪送電(株)の3社が合併して大同電力(株)が設立されました。製鉄工場の名称が大同電力(株)名古屋製鉄所に変更された後、大同電力(株)から名古屋製鉄所を分離し、大同製鋼(株)が設立されました。

1922
第3代社長 寒川恒貞

(株)大同電気製鋼所社長に寒川恒貞が就任

大同製鋼(株)は(株)電気製鋼所から熱田・福島両工場の現物出資を受け、商号を(株)大同電気製鋼所に変更し、福沢桃介に電気炉製鋼業を進言した寒川恒貞が社長に就任しました。名古屋製鉄所を築地工場、木曽福島工場を福島工場に改称し、熱田工場と合わせて3工場体制となりました。

1925
日本で初めてマンガン鋼製特殊軌条の製作に成功

日本で初めてマンガン鋼製特殊軌条の製作に成功

熱田工場で、日本で初めてマンガン鋼製特殊軌条(マンガンレール)の製作に成功しました。市電、私鉄の普及により全国各地、海外に至るまでマンガン鋼製特殊軌条は広く敷設され、昭和初期の不況下においても好調を持続し、当社の救世主となりました。

1926
熱田工場

熱田工場で鋳鋼設備の拡充が進む

1924年の築地工場の機械工場火災を機に鋳鋼設備の熱田工場への集約が進み、1926年には木型工場の新設に次いで特殊軌条の仕上・整備工場が完成しました。

1927
10トン エレクトロメタルス式アーク炉

10トン エレクトロメタルス式アーク炉を導入

電炉工場の増設工事を終えた熱田工場に、当時我が国最大の10トンエレクトロメタルス式アーク炉1基が設置され、稼働を開始しました。マンガン鋼製特殊軌条の新製品開発が、この設備導入の狙いでした。

1928
欧米視察中の川崎舎常務

欧米の電気製鋼事業を視察

広く海外に目を向け、より一層の新知識を得るため、川崎舎常務は欧米各国の電気製鋼事業視察に赴き、8ヵ月間で約80カ所の工場を視察しました。この視察が、当社常勤役員の初の海外出張でした。

1929
1.5トン エル-式アーク炉休止

1.5トン エル-式アーク炉休止

熱田工場で1916年に稼働を開始した1.5トン エルー式アーク炉は1929年に休止しました。

1932
南満州鉄道に納入した3トン大同メタルス式アーク炉

電気炉の販売を開始

電気炉製作を進める中、1930年に自動電流調整装置を完成し、特許を取得。以降、新設アーク炉に同装置を併置し、大同メタルス式アーク炉が完成しました。当社は定款を変更し、営業目的に電気炉製作事業を加えるとともに販売活動を進めた結果、外販第1号となる3トン大同メタルス式アーク炉を南満州鉄道に納入しました。

1933
3トン大同メタルス式アーク炉(築地工場)

拡張工事を推し進める築地工場

兵器の生産と重工業生産力の拡充が行われる過程において、築地工場も航空機用鋼需要の増大に対応するための拡張工事が進められました。鍛鋼工場を中心に増設工事が進められる中、3トン大同メタルス式アーク炉1基が増設されました。

1934
帝発工場第1工場

帝国発条(株)と合併、バネ生産に進出

鉄道車両、自動車など輸送機工業の将来性に注目していた当社はバネを製造する帝国発条(株)を合併しました。帝国発条(株)は解散し、再発足した帝国発条製作所は当社のバネ専門工場として再出発しました。

1936
1957年に開催された大同製鋼健康保険組合設立20周年記念式典

大同製鋼健康保険組合が発足

1936年9月には大同製鋼健康保険組合が設立されました。当社は築地、熱田の両工場を対象として、業務上・外の傷病その他従業員の健康管理に関し、事業主医療機関とタイアップして自主的な活動を開始しました。

1937
10トン炉頂装入型大同メタルス式アーク炉火入式

星崎工場を新設

民需用特殊鋼の需要増加に伴い、星崎工場の建設が進められました。3月に始まった建設工事は10月末に工場建物、11月中に主要機械の一部据付け、12月に10トン炉頂装入型大同メタルス式アーク炉火入式を終え、試運転が始まりました。

1938

大同製鋼(株)に改称

当社の商号を(株)大同電気製鋼所から大同製鋼(株)に変更しました。星崎工場の本格稼働に対応した全社一斉の大拡張展開に先駆け、勢いも新たにすっきりした商号に塗り替えての新しい門出を象徴するものでした。

1940
大同製鋼技能者養成所

技能者養成所を開設

当社における養成工教育は、すでに古い歴史と伝統を持っていましたが、1940年5月に大同製鋼技能者養成所を開設、6月には大同製鋼青年学校を開校し、入社する少年工全員に対して両者の教育を修めさせることとしました。

1941

富永鋼業(株)を合併

1941年10月、富永鋼業(株)を合併し、尼崎、大阪両工場を加えて、新たに鋼板、線材製品、大型鋳鍛鋼品などが生産品目に加わりました。

1945
空襲により焼失した社旗

大空襲に見舞われ生産激減

1944年12月に築地工場が初の爆撃を受けた以降、1945に年に入るとほとんどの工場が爆撃の標的にされました。当社関連の被爆回数は36回、警報発令回数360回、これらによる作業停止時間は2200時間を超え、生産が著しく落ち込みました。

1946

各工場で労働組合が発足

民主化の一環として労働組合運動の解放が占領政策としてとりあげられ、労働組合の結成が促進されました。当社においても1946年2月の星崎工場を皮切りに、4月までにほとんどの事業場で労働組合が結成され、4月には大同製鋼労働組合連合会が誕生し、9月には初めて労働協約が締結されました。

1949

人員整理案発表に抵抗、労働争議が発生

3分割を骨子とする企業再建整備計画に伴い発表された人員整理案に対し組合側は抵抗し、労働争議が発生しました。結果的には2312名の人員整理が達成され、2ヵ月半にわたる抗争に終止符が打たれました。

1950
新大同製鋼(株)本社

新大同製鋼(株)設立

企業再建整備法に基づき、大同製鋼(株)は2月1日に新大同製鋼(株)と大同鋼板(株)に分割されました。新大同製鋼(株)は熱田工場を閉鎖し、築地工場に集約。また、星崎工場の生産設備を西半分に集約し、東半分を三井化学工業(株)に売却しました。また、8月に中央研究所を新設、9月に名古屋証券取引所に上場しました。

1953
高蔵工場開所式

高蔵工場が再発足

長らく閉鎖されていた高蔵工場(旧名古屋陸軍造兵廠高蔵製造所)の払下げに成功し、当社の一工場として再スタートを切りました。砲弾の生産だけでは設備能力を満たすに至らないため、民需の搾出品に活路を求め、後のリヤーアクスルチューブの需要開拓へと進みました。また、この年に商号を大同製鋼(株)に改称しました。

1954
「大同通信」創刊号

社内報「大同通信」創刊

1954年3月に社内報「大同通信」が創刊されました。会社と従業員との意思疎通、仕事に対する正しい認識をはかることを目的に原則毎月1回発行し、全従業員および大同会会員その他に配付されています。1991年4月号から「ふれあいDAIDO」に名前を変えた社内報は、2015年12月時点で累計721号に達しています。

1955
王子工場

新理研工業(株)と合併し、平井、王子工場などを編入

朝鮮動乱後のデフレ不景気に際して積極的な企業再編を実践するにあたり新理研工業(株)と合併しました。その結果、平井、足立、王子、荒川の4工場を加え、規模においても、生産量においても我が国筆頭の特殊鋼メーカーとなり、企業基盤の飛躍的な強化が図られました。

1957
(株)東京製鋼所と合併

(株)東京製鋼所と合併

急速に勃興した特殊鋼需要増加対応策の一環として日産自動車(株)の子会社として同社向けの特殊鋼を生産していた(株)東京製鋼所と合併しました。この合併による特殊鋼の安定需要先の確保は、当社の企業基盤の強化につながりました。

1958
石井健一郎

石井健一郎が社長に就任

1958年3月、石井健一郎が社長に就任しました。石井はモータリゼーションの到来を予見し、知多工場建設を決断するなど当社の飛躍発展への道程を先導しながら、画期的な経営施策を打ち出していきました。1973年の退任まで15年にわたり社長を務めました。

1959
伊勢湾台風により水没した星崎工場

伊勢湾台風により星崎工場、築地工場が水没

1959年9月26日に襲来した伊勢湾台風により、当社においては従業員39名、ご家族173名、計212名の尊い人命が失われました。また水没した星崎工場、築地工場の被害も甚大でしたが、全社を挙げた救援復旧活動が実り、11月中旬には全工場が完全操業の体制に入りました。

1961
埋め立て工事の進む知多工場

埋め立て工事の進む知多工場

製鋼、分塊、圧延の一貫生産を可能にする新工場の建設を決めた当社は1961年4月に名古屋港管理組合との間で埋め立て地売買契約を締結し、約69万平方メートルの用地を購入しました。10月末までに第1期計画40万平方メートルの埋め立てを完了しました。

1962
知多工場 製鋼、分塊、鋼片圧延工場が竣工

知多工場 製鋼、分塊、鋼片圧延工場が竣工

1962年10月、世界最大規模の特殊鋼一貫工場として製鋼、分塊、鋼片圧延工場が完成しました。総合試運転に入った製鋼工場では構造用鋼などの量産鋼種を中心に溶製を続けました。

1963
知多工場完成披露式を開催

知多工場完成披露式を開催

約120億円を投じた工事は1963年3月末までにほぼ計画通りに完了し、月産2万トン能力の製鋼、6万トン能力の分塊圧延ならびに2万トン能力の製品圧延一貫生産体制の確立に至りました。5月13日には1,000名を超す来賓を招いて知多工場完成披露式を開催しました。

1964
渋川工場

関東製鋼(株)を合併し、渋川工場を編入

政府の景気調整策と業界の過当競争により戦国時代の様相を呈していた特殊鋼業界において競争力強化に努めた当社は、ステンレス鋼および高級工具鋼を中心に高級鋼路線を進める関東製鋼(株)と合併し、渋川工場と新潟出張所を編入しました。

1965
ニューヨーク事務所を開設

ニューヨーク事務所を開設

1965年11月1日にニューヨーク事務所がパンナムビルの3階に開設されました。パンナムビルはグランドセントラル駅の上に建てられた地上59階、約246メートルのビルで当時世界7位の高さを誇りました。周辺にはエンパイア・ステート・ビルディング、国際連合本部ビルなどを望むことができます。

1966
創業50周年記念式典

創業50周年記念式典を開催

1966年10月28日に中日劇場(名古屋市中区)で創業50周年記念式典が開催されました。石井社長は挨拶で「50年にわたって培われた大同の真価を遺憾なく発揮して50周年を飾るにふさわしい成果をあげるとともに、世界の大同製鋼として、更に一層の発展を図るため、総力を結集することを望んでやみません」と述べました。

1967
自主管理(JK)活動を開始

自主管理(JK)活動を開始

1967年7月に築地工場でスタートしたQC活動を起源とする当社の自主管理(JK)活動は多くの人たちの努力と工夫で大きな成果を生み出してきました。JK活動社内発表大会は1969年7月の第1回以降継続し、2015年11月に第92回を数えるに至っています。

1971
星崎工場体育館

星崎工場体育館が完成

1971年9月に星崎工場体育館が建設されました。地域のみなさまにも利用され続ける星崎工場体育館は、1997年に(財)日本オリンピック委員会のハンドボール競技強化施設に認定されました。

1972
渋川工場で連続鋳造機が稼働

渋川工場で連続鋳造機が稼働

従来の造塊分塊工程を一新する画期的な製造法として注目される連続鋳造法が普通鋼メーカーに急速に採用される中、特殊鋼専業メーカーとして国内で初めて連続鋳造機を渋川工場に建設し、製造技術の研究開発設備として稼働を開始しました。

1973
平井工場

平井工場を閉鎖

鋼材生産の合理化、集約化を進めるとともに、東京都の都市環境保全施策に対処するため、1973年に平井工場の生産を停止しました。平井工場は1939年に理研鋼材(株)として操業を開始、1955年の当社との合併後も東京地区における鋼材生産工場として業績に寄与しました。

1976
3社合併により大同特殊鋼(株)発足

3社合併により大同特殊鋼(株)発足

大同製鋼(株)、日本特殊鋼(株)、特殊製鋼(株)の3社が合併し、1976年9月1日に大同特殊鋼(株)が発足しました。日本で最も古い歴史と伝統を有するとともに、それぞれ独自の分野を誇る特殊鋼メーカー3社の合併により大同特殊鋼(株)は誕生しました。

1977
3500トンプレス(渋川工場)

渋川工場 3,500トンプレスを新設

世界一の高級特殊鋼工場をめざし、特殊溶解、調質加工などの増強とともに従来の2600トン、1000トン、800トンプレス群に加え、3500トンプレスを新設しました。従来の鍛造品と大物高級火造品の製造が可能となりました。

1980
連続鋳造機(星崎工場)

知多工場、星崎工場で連続鋳造機が相次いで稼働

知多工場で湾曲型大断面連続鋳造(ブルームCC)が稼働を開始、世界で初めて自動車用部品へのCC材適用に挑みました。また、星崎工場でもステンレス鋼を対象とした連続鋳造機(ビレットCC)が稼働を開始しました。

1981
知多帯鋼工場を新設

知多帯鋼工場を新設

高級帯事業化計画の一環として冷延設備の新設と、その操業に対応し帯鋼生産部門管理の一元化を図るため、知多工場から帯鋼課を分離し、知多帯鋼工場を新設しました。

1982
20段冷間圧延機(知多帯鋼工場)

知多帯鋼工場 20段冷間圧延機が稼働

エレクトロニクス、特殊刃物、特殊ばねなどの分野への、高品質冷延製品の供給を目的に高級帯事業計画が進められました。20段冷間圧延機を主体とした知多帯鋼工場の冷延設備が稼働を開始しました。

1983

Daido Steel(America) Inc.を設立

1965年に開設し、市場情報の収集、対米輸出促進の一翼を担ってきたニューヨーク事務所と、1973年に設立し活動を進めてきた大同興業USA(株)の機能を統合する形で米国に現地法人Daido Steel(America) Inc.を設立しました。

1984

粉末事業部、チタン事業部を新設

成長が期待される自動車向け需要の捕捉、特性を生かした粉末製品の強化を図る目的で粉末事業部を新設しました。また、耐食性・耐熱性を生かしたチタン・チタン合金製品の拡販をめざしてチタン事業部も新設し、新たな柱づくりを進めました。

1985
粉末工場

粉末工場を新設

合金粉末の競争力強化と能力増強を図るため、築地工場内に新たに建設した粉末工場が稼働を開始しました。水噴霧とガス噴霧の2種類の方式を導入した工場の新設により、合金粉末の生産が強化されました。

1987
高速4面鍛造機(渋川工場)

渋川工場 高速4面鍛造機が稼働

渋川工場に導入した高速4面鍛造機が稼働を開始しました。超合金、チタン合金、特殊ステンレスなど難加工材の鍛造に適し、寸法精度にも優れ、品質の均一化、結晶粒の微細化を可能にする鍛造機です。

1988
1.5トンエルー式アーク炉 米国金属協会から歴史的遺産に認証

1.5トンエルー式アーク炉 米国金属協会から歴史的遺産に認証

創業時代に活躍した社宝の1.5トンエルー式アーク炉が米国金属協会から歴史的遺産に認証されました。1916年から1929年まで熱田工場で稼働した、現存する我が国最古のアーク炉です。認証を機に、社宝は知多工場で展示されることになりました。

1990
中津川テクノセンター

中津川テクノセンター開設

電子・電気機器などハイテク関連をはじめとした事業拡大のため、岐阜県中津川市に工業用地を取得し、中津川テクノセンターを開設しました。同テクノセンター内に磁材部門、精密鋳造部門の工場が建設されました。

1991

創業75周年にあたり、経営理念を制定

「21世紀社会に貢献する創造的、個性的な企業集団をめざし、人を活かし、技術を極め、未開の領域に挑戦し続けます」地球環境への配慮と国際社会での良き企業市民であることを念頭に置き、21世紀においても世界的に高く評価され、社会から求められる大同グループを創造していくことを社員共通の目標とし経営理念を制定しました。

1992
垂直式丸型断面連続鋳造機(知多工場)

知多工場 垂直式丸型断面連続鋳造機が稼働

知多工場の第2連続鋳造機は全高65mという壮大なスケールを誇り、丸型断面母材を垂直式で連続鋳造できる、世界に二つとない設備です。構造用鋼、軸受鋼からステンレス鋼、バルブ用耐熱鋼まで多様な鋼種の連続鋳造が可能です。

1993
全天候バース(知多工場)

知多工場全天候バース、関西物流センター完成

鋼材物流合理化の一環として、知多工場の岸壁に特殊鋼業界で初めて全天候バースを建設しました。全天候バースは1500トンの船舶の接岸、雨天時の荷役を可能としました。また、奈良県小倉工業団地に自動立体倉庫を備えた関西物流センターを建設し、操業を開始しました。

1994
チタン合金製クラブヘッド

チタン合金製ゴルフクラブヘッドを事業化

打球の安定性が高く、飛距離が大幅に伸びることからゴルファーの間で人気の高まっていたチタン合金製ゴルフクラブヘッド。チタンは軽くて耐食性に優れるものの加工が困難という課題を、精密鋳造システム「レビキャスト法」を採用することで克服し、当社はチタン合金製ゴルフクラブヘッドを事業化しました。

1995

星崎工場の製鋼部門を知多工場に全面移管

星崎工場で溶解していたステンレス鋼を含む量産鋼の製鋼を知多工場に集約しました。知多工場の製鋼合理化により、最新鋭の一貫したステンレス製造ラインを完成させるとともに、難しいとされてきた鋼種のCC化を図りました。1937年に稼働を開始した星崎工場の製鋼部門は休止し、同工場は圧延、二次加工に特化することになりました。

1997
インラインプレス(知多工場)

知多工場に多機能インラインプレスを導入

分塊圧延前の素材を予備成形することにより分塊能力および製品品質の改善を図る目的で知多工場にインラインプレスを導入しました。太丸製品のサイズ拡大、工具鋼、ステンレスなど高級特殊鋼の品質改善、CC(連続鋳造)比率の向上と歩留および能率改善に力を発揮します。

1999
9トン真空誘導炉(渋川工場)

渋川工場 高合金事業を拡充

9トン真空誘導炉を導入し、高合金一次溶解能力を増やすことで高品質化を進めました。真空誘導炉は厳選された原料を真空下で溶解・精錬し、減圧アルゴン雰囲気下でインゴット造塊する装置です。電力、航空機、化学プラント関連向けの高合金需要増に対応するための戦略投資です。

2000

情報システム部を分社化、磁材事業の販売権を完全移管

大同特殊鋼(株)の情報システム部を分社化し、(株)スターインフォテックを設立。また、磁材事業の販売権を(株)ダイドー電子に完全移管しました。

2001
熱間帯鋼圧延機(星崎工場)

高級帯鋼の名古屋地区一貫生産を開始

従来渋川工場で行っていた高級帯鋼熱間圧延を星崎工場に移管、高級帯鋼の名古屋地区一貫生産(知多工場-星崎工場-知多帯鋼工場)がスタートしました。熱間帯鋼圧延機の導入により、製造可能幅の拡大、コイル単重アップ、表面品質の向上が可能となりました。

2002
(株)大同キャスティングス設立

(株)大同キャスティングス設立

2002年4月に大同特殊鋼(株)精鋳品事業部、鋳鋼品事業部、(株)ダイドープレシジョンパーツ、大同特殊鋳造(株)を統合した総合鋳鋼メーカー(株)大同キャスティングスが発足しました。主な製品は新幹線用マンガンクロッシング、ターボチャージャー用精密鋳造品、大型鋳鋼部品です。

2003
大同品川ビル

東京本社が大同品川ビルへ移転

2003年12月に東京本社を大同ビル(東京都港区西新橋)から大同品川ビル(東京都港区港南)へ移転しました。品川地区は10月に東海道新幹線品川駅が開業したばかりの注目のエリアです。同ビルには、大同興業(株)東京本社をはじめグループ各社も移転しました。

2004
大断面鋳造機PHC(知多工場)

知多工場 大断面鋳造機PHCが稼働

2004年7月、知多工場で大断面鋳造機PHC(Promising Hybrid Caster)が稼働を開始しました。鋳片断面積は既存インゴットと同等(既存連続鋳造対比約3倍)、大断面の鋳片内部品質を確保するために連続鋳造中の鋳片にテーパーを付与できる技術を開発、また最終凝固部の引け巣を防止するため鋳造機頭部に加熱機能を搭載しています。

2005
アーバンネット名古屋ビル

本社がアーバンネット名古屋ビル(久屋大通)へ移転

それまで42年間にわたり過ごしてきた興銀ビル(名古屋市中区)の老朽化に伴う建て直しに伴い、2005年12月に本社をアーバンネット名古屋ビル(名古屋市東区)へ移転しました。同ビルは栄地区の北エリアに位置し、オフィス棟と商業棟で構成され、セントラルパーク地下街ともつながっています。

2006
STC®焼鈍炉

STC®焼鈍炉 累計200基受注達成

2006年2月にSTC®焼鈍炉の累計受注が200基に達しました。1980年の初号基納入以来、足かけ27年かけての達成です。STC®焼鈍炉は、特殊鋼線材など多品種小ロット製品の熱処理に最適な焼鈍炉。自動運転、無人操業を実現し、操作性の良さと安定品質、省エネ効果で好評を得ています。

2007
知多工場本館事務所

知多工場本館事務所が完成

2007年3月に知多工場本館事務所の建設が完了しました。新たな本館事務所は耐震性に優れるだけでなく、業務能率向上を意識したレイアウトを採用。また、7月に食堂、9月には大同知多協力会センターも建て替えられました。

2008
7000トンプレス(渋川工場)

渋川工場 7000トンプレスが稼働

2008年4月、渋川工場の7000トンプレスが稼働を開始しました。同工場で従来最大の3500トンプレスに比べ加圧力が2倍となる7000トンプレスの導入により、航空機・発電機用途をはじめ、各種産業分野向け難加工・高級鋼自由鍛造品の品揃えの拡大、品質向上が可能となりました。

2009
真空浸炭炉モジュールサーモ

真空浸炭炉モジュールサーモ本格販売

当社の鋼材技術・真空熱処理技術とドイツALD社の真空浸炭技術を融合した真空浸炭炉モジュールサーモの販売を本格化させました。強度と耐久性が要求される自動車部品などを浸炭処理する際、真空浸炭処理には迅速・高精度で安定した熱処理品質を提供できるメリットがあります。

2011
大同特殊鋼(上海)有限公司を設立

大同特殊鋼(上海)有限公司を設立

成長する中国市場での事業活動を拡大するため、大同特殊鋼(上海)有限公司を設立しました。同社は特殊鋼鋼材、素形材製品、熱処理炉などの市場開拓・拡販および各種原料や資材調達機能の拡充に加え、大同特殊鋼グループ全体の基盤強化に向けたサポート拠点の役割を担います。

2012
知多工場 A炉休止

知多工場 A炉休止

2012年3月、知多工場において製鋼A炉最終出鋼式が開催されました。A炉は1962年10月19日に稼働を開始し、約50年にわたり当社を支え続けてきました。製鋼合理化にともなう新アーク炉導入計画の一環で、A炉は休止、解体されました。

2013
150トンアーク炉(知多工場)

知多工場 150トンアーク炉が稼働

知多工場に150トン大型電気炉1基を新たに導入し、エネルギーの高効率化と溶解・精錬機能を向上しました。あわせて製鋼工場内の溶鋼搬送ラインの物流を整流化し、連続鋳造機の能力をフルに発揮させることで戦略商品群の品質・コスト競争力向上をめざします。

2014

インド サンフラッグ社に資本参加

インド特殊鋼メーカーのサンフラッグ社に資本参加しました。2010年の技術支援契約締結以降、同社の技術向上とビジネスの拡大を支援してきましたが、資本参加によりインド市場におけるサプライチェーン拡大の戦略的パートナーに正式に位置づけました。

2015
熱間高速横型鍛造機(知多型鍛造工場)

知多型鍛造工場 新開発の熱間高速横型鍛造機が稼働

当社の鍛造技術と設備技術を結集した鍛造機を知多型鍛造工場に導入。従来の熱間高速横型鍛造機と縦型鍛造機の強みを併せ持ち、製品品質とコスト競争力の向上を図ります。

2016
創業100周年記念ロゴマーク

創業100周年

おかげさまで2016年8月19日に創業100年を迎えます。