川崎工場を分離し、バネ生産から撤退
設備合理化第3次計画のひとつとして進められていた川崎工場のバネ工場拡張工事が、繰り延べとなった熱処理炉をのぞいて1957年6月に完成しました。
板バネ試験機(川崎工場)
しかし、不況の影響はバネ業界にも浸透し、当社はバネ業界の雄である日本発条(株)との間にバネ生産について再編を進めることを決断。当社のバネ部門を同社と合併することを前提に川崎工場を分離し、新会社を設立して営業譲渡するものとし、8月に開催された株主総会で川崎工場の分離独立が承認されました。そして、1957年12月に大同発条(株)を設立しました。
1934年に帝国発条(株)を合併して帝発工場を加え、その後、川崎工場も建設するなどバネ部門の拡充を意欲的に進めてきましたが、当社はバネ生産からの撤退を決断しました。
リーフ切断作業(川崎工場)
新たに設立された大同発条(株)は翌1958年1月に日本発条(株)との間に合併契約を締結し、5月1日に両社は合併。大同発条(株)は解散し、日本発条(株)が存続会社となりました。