創業者 福沢 桃介

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創業者 福沢 桃介

大同特殊鋼の創業者は福沢桃介。福沢諭吉の娘婿で、「電力王」と呼ばれた人物です。木曽川の水力発電開発に注力した桃介は、部下に“余剰電力の利用策”を調べるよう命じました。その結果、”電気炉で特殊鋼をつくる”案が採用され、当社の礎が築かれました。今回は、事業家として名を馳せた福沢桃介を紹介します。

福沢桃介

福沢家に見出される

岩崎家の次男として生まれた桃介は幼少時代から神童と呼ばれる秀才で、福沢諭吉の開いた慶応義塾に進みます。優秀な成績を修めた桃介は福沢家に認められることとなり、諭吉の次女房(ふさ)の婿となるため福沢家の養子となりました。
米国留学後、房と結婚した桃介は北海道炭礦鉄道株式会社に入社するも結核を患い退社、静養生活を送ります。そのころ始めた株式投資で成功した資金を元に事業家の道に進みます。

電力事業に乗り出し、木曽川水系を開発

さまざまな事業を手掛けた桃介は、電気事業への投資を始めます。なかでも名古屋の電力会社、名古屋電燈(株)の大株主となり、同社の経営に参画。水力発電に情熱を燃やす桃介は、水力が多く、勾配が急であり、電力の消費地に近いことから木曽川水系の開発に力を注ぎます。それと並行し、既にあった八百津発電所の余剰電力の活用を図るため、鉄道経営、工場建設に乗り出します。工場建設を実行に移すため、産業視察を目的に同社顧問の寒川恒貞(のちに(株)大同電気製鋼所社長に就任)を欧州へ派遣しました。

㈱電気製鋼所を設立

「水力発電の余剰電力5千キロワットの利用策について調査せよ」1914年10月、桃介は帰国した寒川に命じました。調査の結果、寒川が進言したのが、電気炉で特殊鋼を作るアイデア。日本の工業化を担う産業としてその可能性に注目した桃介は、寒川の案を即座に採用しました。1916年に日本で初めて電気炉による製品化・量産化を可能にした1.5トンエルー式アーク炉(社宝、現在は知多工場に所蔵)が完成。名古屋電燈(株)から製鋼部門を分離し、8月19日に㈱電気製鋼所を設立しました。この日が当社の創業日にあたります。

関西への送電に尽力

1921年には大阪送電(株)、木曽電気興業(株)、日本水力(株)の3社を合併し発足した大同電力(株)の初代社長に就任。読書発電所、日本で初めての本格的ダム式発電所となる大井発電所を次々に竣工し、関西への送電を手掛けました。その後、事業が軌道に乗ると後進に道を譲り、1926年に帝国劇場(株)会長に就任しますが、1928年には実業界から身を引きました。そして1938年2月、東京渋谷の自宅で息を引き取り、「電力王」と呼ばれた桃介は69歳でその生涯を閉じました。

略歴

1868年 現在の埼玉県吉見町で生まれる
1883年 慶応義塾に入塾
1886年 福沢諭吉の養子となる
1889年 福沢房(福沢諭吉の次女)と結婚
1910年〜 名古屋電燈(株)の経営に参画し、木曽川の水力発電開発に注力
1914年 名古屋電燈(株)社長就任
1916年 名古屋電燈(株)から製鋼部門を分離し、(株)電気製鋼所を設立
1917年 (株)電気製鋼所2代目社長に就任
1922年7月の(株)大同電気製鋼所
誕生に至るまで社長を務める
1921年 大同電力(株)社長就任
1923年 読書発電所竣工
1924年 大井発電所竣工
1928年 実業界から引退
1938年 逝去
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