下出民義の長男、ゆかりのある場所

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下出民義の長男、ゆかりのある場所

長男 下出 義雄は当社第4代社長

下出 義雄

1890年、下出民義の長男として誕生。東京高商専攻科(現一橋大学)を卒業後、1917年に(株)電気製鋼所の支配人に就任。(父民義は相談役、2代目社長に福沢桃介が就任)1931年から1946年まで(株)大同電気製鋼所(1938年に大同製鋼(株)に商号を変更)の社長を務めました。その間、名古屋株式取引所理事長の他、数多くの企業で要職に就く。また、教育にも情熱を傾け、東邦商業学校長、財団法人大同工業教育財団初代理事長として尽力。1942年には衆議院議員に当選。財界に限らず、教育界、政界に至る幅広い分野で功績を収めました。1958年1月に死去。

下出 民義にゆかりのある場所

東邦高校(名古屋市名東区平和が丘)

1923年に下出民義により設立された東邦商業学校がルーツ。1971年に名古屋市東区赤萩町から現在地の平和が丘へ移転。野球部は強豪で知られ、2016年春の選抜高校野球で史上最多5度目の優勝を目指す。

下出橋(長野県木曽郡大桑村)

1918年に大桑発電所の建設資材運搬を目的に木曽川に架けられた吊り橋。「下出橋」と名付けられました。橋塔部に記された橋の名は民義の書によるもの。現在は一対の橋塔を残すのみで通行できない。

参考文献

尾崎久彌(編)、『下出民義自伝』(『東邦学園五十年史』別冊付録)、東邦学園、1978年。
東邦学園同窓会 東邦会、『真面目の系譜』、東邦学園、1998年。

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