試練の時を迎える

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試練の時を迎える

第一次世界大戦の終結、海軍軍縮問題は鉄鋼業界に大きな逆風をもたらしました。その荒波の中、(株)電気製鋼所、大同製鋼(株)を合同し、1922年に誕生した(株)大同電気製鋼所は技術の研さん、設備の合理化に努めました。

(株)大同電気製鋼所誕生の前年、(株)電気製鋼所はドイツ クレフェルト製鋼会社の技師アルフォンス・ヴェルチック工学博士を顧問技師として招へい。博士は1924年6月の帰国まで約3年にわたり、主に高級工具鋼、材料鋼の溶解法、熱処理法などの指導にあたり、各鋼種の完成へと導くとともに、社員の研究心のさらなる向上に大きく貢献しました。また、1924年2月に電気製鋼研究会が発足、1925年1月には機関誌「電気製鋼」が創刊されました。

ヴェルチック博士

「電気製鋼」創刊号

一方、設備合理化においては、熱田工場では1923年に機械工場を竣工、1924年には鍛鋼工場に加熱炉を1基増設。築地工場では1924年に当社初の圧延工場が完成し、ヤスリ、工具鋼など高炭素鋼の生産を開始しました。しかし、同年に火災が発生、焼失した機械工場の再建を機に、鋳鋼設備の熱田工場への集約を進めました。築地工場の鋳鋼設備、人員を引き受けた熱田工場は、その後も鋳鋼設備の拡充を進め、1926年に木型工場を新設、特殊軌条の仕上、整備工場を完成させると、続く翌年には当時わが国最大の10トン エレクトロメタルス式アーク炉を導入しました。

10トン エレクトロメタルス式アーク炉

その後、1927年3月の昭和金融恐慌、「暗黒の木曜日」とも呼ばれる1929年10月のウォール街大暴落が発生する中、好調を維持する特殊軌条が当社の収益を支えました。しかし、それも束の間の安穏で、その年を境に当社の業績は一気に下降線をたどりました。

業績(1923年~1931年)
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