合金鉄に活況戻る

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合金鉄に活況戻る

創業時から手掛けていた合金鉄は海軍軍縮による需要減退を受け、1922年には木曽福島工場を一時閉鎖し、熱田工場に生産を集約しました。しかし、国内経済に力強さが戻ってくると、1930年に熱田工場では旧1,200kWジロー式合金炉を廃棄し、600kWエルー式合金炉2基に更新。1932年には木曽福島工場の操業再開を決定、工場名を福島工場と改め、600kW合金炉2基が稼働、フェロシリコン、フェロマンガンの生産を開始しました。

操業を再開した福島工場(1932年)

販売量が急上昇した合金鉄の中でも、特にフェロシリコンはアメリカ向けの輸出好調が伸びの大きな要因となりました。また、国内向けも陸海軍工廠や各製鉄所からフェロシリコン、フェロクロム、フェロマンガンの受注が大きく伸びると、1934年には築地工場に製鉄工場1棟を増築し、1,200kVA合金炉を設置しました。しかし、同年下期には渇水による電力不足のため生産能力を十分に発揮するに至らない状況に追い込まれましたが、フェロシリコンを中心に下請け企業への発注で急場をしのぎました。このころには満州鉄道向けの特殊フェロマンガン、国内製鉄所向けのフェロマンガン、フェロシリコン、欧州向けのフェロシリコン、海軍工廠向けのフェロクロムが主力商品となりました。

近代設備の排煙筒が取り付けられた合金鉄工場(熱田工場)

1936年後半から、中国向けにフェロマンガン、フェロシリコンの輸出が始まると、大量需要に対応するため各工場の生産品種の整理集約が必要となり、熱田工場がフェロマンガン、築地工場がフェロクロム、福島工場がフェロシリコン、フェロマンガンを生産する体制が確立されました。

フェロマンガンの電気精錬の様子(福島工場)
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