「冬来りなば春遠からじ」新大同製鋼(株)創立の日に当って

topics

「冬来りなば春遠からじ」新大同製鋼(株)創立の日に当って

1950年2月1日、新大同製鋼(株)創立当日、社長空席のまま代表取締役、専務取締役として新会社を背負った石井健一郎は全社に向け、力強く第一声を発しました。

「昭和25年2月1日はわれわれ大同人にとり誠に意義深い日であります。本日を以て、企業再建整備法により従来の大同製鋼(株)が解散して新たに新大同製鋼(株)と大同鋼板(株)との2社が誕生したのであります。換言すれば、大同製鋼(株)がもっていた設備その他の資産の中で、不要になった部分とこれに見合う債務とを旧会社に残し、必要な部分だけをもって新会社を設立したのであります。

新大同製鋼(株)は資本金4億2,000万円で特殊鋼メーカーとしての大同製鋼(株)の歴史と技術と設備とを全面的に継承するものであります。

大正5年、今の熱田工場の地に初めてささやかな電気炉を設置して作業を開始してから35年、わが社は常にわが国電気製鋼業界の先陣を承り、わが国最古の歴史と最優秀の技術とを誇りとしていささかながら国運の進展に寄与してきたのであります。

しかるに終戦以来特殊鋼に対する需要が激減してわが社の規模能力は甚しく過大となり、これを如何にして有利に集約するかがわが社の運命のわかれるところとなりました。他方、わが社の支柱とも称すべき幾多の大先輩が相次いで退任せられて、経営の中核を失い、内憂外患交々至って経営上まことに容易ならぬ危機に当面したのであります。

この数年間に如何なる事態が起こり、また如何なる対策がたてられたか、それは今更喋々するまでもなく、諸君の記憶に新しいところでありましょう。苦難また苦難、一日として心安まるいとまは無かったのです。しかしながらわれわれの努力苦闘は、これをたとえるならば降り積む雪に埋もれて春を営む若草のけなげさにも似た姿であったとも言えましょう。今や漸く最悪の時期を脱して、かすかながら前途に光明を見出しつつあります。ご承知のように企業の合理化を追々具体化して大幅の経費節減を推進しつつある反面、生産高は全従業員諸君の努力により概ね従来の線を維持していることは何にもまして心強いことでありますが、特に本年度は三井化学との提携による星崎東工場の活用やその他不要工場の売却により、わが社の総借入金の約半額、3億円見当は返済可能の見込みであり、これが実現した暁には利息の軽減だけでも年間3千万円に上るのであります。

多く論ずるまでもなく、昭和25年の日本経済は整理徹底の年であります。一日も早く整理を完了して再出発の態勢を整えたものは生き残りましょう。これに反し、その日暮しの安易さに誘惑されて整理を徹底し得ないものは、企業を根こそぎ失うことになると思います。この意味から言って、わが社は既によいスタートを切っております。因より未だ決して楽観することは許されませんが、死力を尽くしてこの1年を乗り切るならば、あとは漸次平坦なコースに入れるのではないかと期待せられます。

くれぐれもお願いしたいことは、全従業員諸君が一人残らず一致協力して再建に努力して下さることです。ヘトヘトになった行軍では、身軽になるためには紙一枚でも捨てる、と聞いております。合理化徹底の過程においては、一人と雖も『働かない人口』を養っていくことはできません。

われわれは幸にして優れた技術と古い歴史とをうけついでおります。この基盤の上に立ち、みんなが心を合わせて力の限り働くならば、必ずや明るい将来が約束せられるものと確信します。

『冬来りなば春遠からじ』新大同製鋼(株)の創立に当たり、この言葉を諸君におくってわが社の前途を祝福するとともに、年一年、今後記念日を重ねる毎に創立時代の苦難の明け暮れが語り草となるであろうようにと衷心より祈念するものであります。」

新大同製鋼(株)本社
473/570

関連記事RELATED ARTICLES