伊勢湾台風襲来 星崎、築地工場水没

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伊勢湾台風襲来 星崎、築地工場水没

1959年9月26日(土)18時過ぎ、台風15号が潮岬に上陸。紀伊半島から東海地方を北東に進んだ超大型台風はおよそ5,000名に及ぶ尊い人命を奪い、伊勢湾台風と命名されました。猛風がもたらした伊勢湾一帯の高潮は満潮と重なり、増水した河川の堤防を破壊。貯木場から流出した無数の巨木が激流に乗り、住宅地を壊滅し、人命を奪いました。

当社の星崎工場、大同病院、大同学園をはじめ、寮、社宅も甚大な被害を被り、午後9時45分ごろ星崎工場に流木約2,700本を伴った激流が押し寄せ、工場内を瞬く間に埋め尽くし、長期間にわたり冠水する未曾有の惨害を引き起こしました。また、名古屋港に近い築地工場も、午後8時40分ごろから高潮が岸壁を乗り越え、一瞬のうちに全工場が浸水し、周辺の寮、社宅も水没。星崎、築地の両工場は、当日がたまたま休日であったため、工場内の人的被害は少なかったものの、この台風により、当社においても従業員39名、家族173名、計212名の尊い人命が失われました。

伊勢湾台風により水没した
星崎工場正門付近

台風襲来から一夜明けた翌27日、従業員の救援に立ち上がるため、笠寺寮が前線本部となり、寮生二十数名が主力となり、駆け付けた石井社長の陣頭指揮により炊き出しが始まるとともに、罹災者の消息把握と被災状況の収集に着手。翌28日には被災状況の全貌が明らかとなり、石井社長の災害復旧に関する全社への示達となり、対策本部が高蔵製作所に設置され、現場復旧や水没地からの罹災者救出などの救援活動が開始されました。

濁水の中の堤町社宅

災害復旧に関する示達

社長 石井健一郎

台風15号により当社は思いもかけぬ被害を蒙った。その詳細はまだ不明であるが、私が最も頼みとする従業員若干名を失い、また家族の死傷も相当数に上ったことは誠に痛恨の限りである。
復旧は一刻を急ぐ。本日災害対策本部を設置し、直ちに活動を開始した。対策の重点は、現場の復旧と罹災者の救援におく。関係者はそれぞれ担当の対策推進に万全を期せられたい。官庁、金融機関、得意先等外部関係先に対しては誠意を以て事態の説明に当たり、いやしくも信用を失うことのないよう注意せられたい。
罹災者の救援については、会社は最善をつくしたい。当面の救援物資は勿論であるが、さらに見舞金、非常資金、住宅対策等出来る限りの手をさしのべる方針である。
当社はいま社運をかけての大発展を前にしている。この際この被害は誠に手痛くはあるが、全社一丸となって一日も早くこの困難を克服したい。困難に直面するとき、私は社長として必ず諸君の先頭に立つ。どうか全従業員諸君は上下一体となってあらゆる努力をつづけて貰いたい。諸君の熱意と努力さえあれば、当社の将来は明るい。私は今回の災禍を転じてむしろ繁栄への起点となしうるものと確信する。

尚対策本部の担当は次の通りである。

対策本部長  平井副社長
現場復旧部長 林常務
同次長    小野業務部長、中野技術部長
罹災対策部長 川瀬常務
同次長    杉総務部長、山脇人事部長
対策支部   星崎支部、築地支部、高蔵支部

星崎、築地両工場の被害も甚大でした。築地工場は全工場が浸水に見舞われたものの、台風の通過とともに高潮の引きが早く、刻々と水位が低下したため、星崎工場に比べると被害は軽く、翌日から工場復旧に取り掛かることができました。一方、星崎工場の被害は凄まじく、建物の大半は著しく破損し、すべての主要設備は冠水したままでした。

大きな被害を受けた星崎工場
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