創成 1916年~1951年 創業から戦後の苦難

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創成 1916年~1951年 創業から戦後の苦難

当社の100年の成長の過程を5つの時代に分け、それぞれどのような道を歩んできたかについてダイジェストで紹介していきます。第1回は「創成」。1916年から1951年にかけての創業から戦後の苦難です。

電気製鋼所としての出発

1916年8月19日、「日本の電力王」とも呼ばれた福沢桃介は、水力発電による余剰電力を利用した電気炉製鋼の事業化をめざして工場を名古屋の熱田に定め、(株)電気製鋼所を設立しました。ここに当社100年の歴史が始まります。
熱田工場に自社設計の1.5 トン エルー式アーク炉を設置し、工具鋼の試作を開始するとともに、製鉄業にも着目して1918年に木曽電気製鉄(株)を設立。製鉄工場(築地工場)を稼働させました。しかし、第一次世界大戦が1918年に終結すると深刻な不況に陥り、1922年7月、2社は合併し、(株)大同電気製鋼所として再出発します。

1.5トン エルー式アーク炉

1925年にはわが国初の高マンガン鋼製特殊軌条(マンガンクロッシング)の製作に成功し、1929年の世界恐慌後の不況においては、1930年に独自に開発した大同メタルス式アーク炉の販売などで奮闘しました。

戦時から戦後へと続く苦難

1931年の満州事変後、軍からの旺盛な需要に応えるため、熱田、築地両工場で設備を増強する一方、民需にも対応するため1937年に星崎工場を建設しました。その後も工場の新設、買収を進め、工場は16カ所、従業員は3万人に達しました。しかし、戦況の悪化や幾度もの空襲などによって甚大な損害を被り、苦難のうちに終戦を迎えました。
戦後はすぐに工場の再開に着手し、農機具、鍋、釜、自転車などの民需品の生産を開始しましたが、企業再建はスムーズに進まず、労働争議が発生するなど戦後も苦難が続きました。1950年2月に新大同製鋼(株)が誕生したものの、依然として厳しい状態にありました。そのような中、同年6月に朝鮮戦争が始まり、当社は「伸展」の時代に向かったのでした。

新大同製鋼発足
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