融合 1964年~1982年 三社合併による大同特殊鋼の誕生

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融合 1964年~1982年 三社合併による大同特殊鋼の誕生

当社の100年の成長の過程を5つの時代に分け、それぞれどのような道を歩んできたかについてダイジェストで紹介していきます。第2回「伸展」に続く、第3回は「融合」。1964年から1982年にかけて、東京オリンピック開催から「いざなぎ景気」、そして大同特殊鋼誕生までの道のりです。

堅調な業績が続く大同製鋼

1964年10月の東京オリンピック開催に向け、活況に沸くわが国経済でしたが、特殊鋼専業メーカーは過当競争のあおりから苦境の中にありました。しかし、知多工場を軌道に乗せていた大同製鋼は、堅調な業績を維持していました。引き続き知多工場の生産能力増強を進める一方、星崎工場の二次加工、築地工場の鋳造、王子工場の帯鋼など、それぞれの特徴を生かした生産活動を強化しました。そのような中、1964年には関東製鋼と合併。渋川工場を編入し、特殊鋼需要の拡大に応える体制を整えました。

関東製鋼と合併、渋川工場を編入関東製鋼と合併、渋川工場を編入

しかし、1973年に発生した石油危機はわが国経済に深刻な影響を与え、大同製鋼の業績は輸出の好調さに支えられて堅調だったものの、各特殊鋼メーカーは大きな打撃を被り、業界再編の動きが加速しました。

大同特殊鋼の誕生

高炉メーカーによる特殊鋼市場への参入もあって特殊鋼専業メーカーの苦境がさらに深刻化する中、大同製鋼も企業再編による経営基盤の強化を模索しました。そこで、高級鋼材が得意で、取鍋精錬炉の開発などでも独自技術を持つ日本特殊鋼と、ステンレス鋼線材や高速度鋼などのノウハウを持つ特殊製鋼の3社で協議を重ね、合併を決断しました。

1976年9月、3社の強みを生かし、量産鋼から高級鋼までをカバーするわが国最大の総合特殊鋼メーカー、大同特殊鋼が誕生しました。

3社合併により大同特殊鋼が誕生(1976年)3社合併により大同特殊鋼が誕生(1976年)

合併後、知多工場では分塊圧延能力を増強し、星崎工場では高級鋼および線材二次加工の強化を図り、渋川工場では大森工場から取鍋精錬設備を移設、3500トンプレスに特殊溶解を加えて世界有数の「高級鋼センター」としての機能を強化し、君津工場では熱間高速精密鍛造の増強を進めました。また、技術サービスを大幅に強化し、需要家の要望に一層応える体制づくりを目指しました。こうした3社融合の努力により、大同特殊鋼の枠組みが完成しました。

その後、1970年代後半から80年代前半に進んだ円高と貿易摩擦の激化は、やがて自動車や電機を中心としたわが国産業の急速なグローバル化を促すこととなりました。

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