躍進 1983年~2004年 新しい市場への挑戦と展開

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躍進 1983年~2004年 新しい市場への挑戦と展開

当社の100年の成長の過程を5つの時代に分け、それぞれどのような道を歩んできたかについてダイジェストで紹介していきます。第3回「融合」に続く、第4回は「躍進」。1983年から2004年にかけて、世紀をまたいでの新しい市場への挑戦と展開です。

新たな市場への挑戦、新しい事業の展開

1980年代、わが国は急速に進む円高と貿易摩擦の激化により、日系自動車メーカーの米国での現地生産が加速しました。日本の鉄鋼メーカーの米国進出も進み、当社も1988年には、オハイオ州に熱間精密鍛造品の生産を目的にしたOHIO STAR FORGE CO.を設立。当社初の現地生産拠点として、1990年から操業を開始しました。また、ニューヨーク事務所(1965年に開設)に続いて、新たな成長センターと目されていたアジアでの事業も拡大し、工具鋼を中心にインドネシア、台湾、タイに合弁会社を設立。需要の開拓を進めました。

OHIO STAR FORGE CO.OHIO STAR FORGE CO.

一方、国内経済は停滞傾向にあり、当社も1984年の3000億円超をピークに売上高を徐々に減らしていました。そうした事態を打開するため、1980年代半ば以降、粉末やチタン、磁材、航空宇宙材料、精密鋳造などの新規事業部を設置し、未開拓の分野へ挑戦し始めました。また、1980年に星崎工場と知多工場で連続鋳造設備を稼働させるなど、生産効率を高め、競争力のある企業体質構築への取り組みも強化しました。

連続鋳造設備(星崎工場)連続鋳造設備(星崎工場)

新たな生産技術に挑む

1980年代後半から90年代にかけ、新しい生産技術やシステムの開発・導入を進め、サイズフリーと4サイクル化を実現した圧延システム「てきすん」、小型棒鋼の全数機器検査保証を可能にしたSRICライン、画期的といわれたステンレス鋼の精錬プロセス、高品質高級鋼の鋳造を可能にした国内初の垂直式丸型断面連続鋳造設備、チタンの精密鋳造を実現したレビキャスト法などを次々と形にし、競争力の向上につなげました。

新規事業の成果も徐々に表れました。1990年には岐阜県中津川市に、大規模な生産拠点としては知多工場建設以来となる中津川テクノセンターを開設し、磁材製品と精密鋳造製品の生産を開始しまっした。磁材事業はタイに続いて中国にも生産拠点を確保し、グローバル化を進めました。

当社の売上高も1990年に3260億円に到達しましたが、バブル景気が終わると長い低迷期に入りました。そうした中、生産体制を見直し、1995年に星崎工場の製鋼部門を知多工場へ集約。星崎工場は、高級鋼や難加工材を中心とする二次加工専門の工場としての特色を、より一層強めました。

さらに2001年のITバブル崩壊や米国同時多発テロなど、厳しい情況が続きました。しかし、2002年になると内需拡大の進む米国や、中国などBRICsの台頭により、景気の拡大が始まり、業績も上向きに転じました。

中津川テクノセンター中津川テクノセンター
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