築地・熱田工場の設備を増強し、増産体制を確立

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築地・熱田工場の設備を増強し、増産体制を確立

1931年9月の満州事変を契機に、国内においても軍需の増大、重工業生産力が拡充されると、それに合わせて鉄鋼需要も増大しました。6月に新しく社長に就任した下出義雄は、増大する特殊鋼鋼材の需要に対応するため、生産・販売に関する積極策を打ち出し、築地工場を鍛鋼、熱田工場を鋳鋼の専門工場としました。

蒸気ハンマー (築地工場 鍛鋼第一工場)
3トン 大同メタルス式アーク炉 (築地工場)

築地工場では研究所、鍛鋼工場、機械工場、圧延工場、調質工場などを増設し、特に鍛鋼工場については各種ハンマー十数基を新設し、航空機用特殊鋼の生産体制を整えるための設備充実が図られました。また、圧延工場の相次ぐ拡充により、航空機用、兵器用、造船、造機、織機用など各種棒鋼ならびに車両用バネ鋼の注文が殺到しました。

一方、熱田工場では1932年に鍛鋼工場全設備の築地工場への移設が完了すると、鋳鋼設備の増強に着手しました。鉄道省から貨客車用輪芯、桁受、軸箱守等をはじめ電機用、鉱山用、造船用、セメント製造用など各種製品の受注が産業界の活況に伴い激増。また、各市電気局、電鉄会社から好評を博したマンガン鋼製特殊軌条の旺盛な需要に応えるため、特殊軌条工場を増築し、築地工場から設備を移設。さらには製鋼能力不足を補うため、アーク炉の更新を順次進めました。

当社謹製の輪芯が初めて採用された御料車
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