(株)第二大同電気製鋼所を設立、星崎工場建設へ

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(株)第二大同電気製鋼所を設立、星崎工場建設へ

1936年に築地工場が軍の管理に指定されると、工場運営は軍備の大拡張を推進する軍の意向に振り回される状況に追い込まれました。軍需品の増産が相次ぐと、設備増強を繰り返していたとはいえ築地工場の生産能力も限界に達し、民需に対応できない状況に陥ることが危惧されました。この状態を重く見た社長の下出義雄は9月の役員会で民需専門の圧延工場と機械工場の新設構想を表明、10月の役員会で両工場の新設が決まりました。のちの星崎工場、大同マシナリー(株)の母体となる工場です。

まず圧延工場については、資金調達の関係から別会社を設立して工場を建設し、その工事が完了する頃に当社に吸収合併する方法が選択されました。1937年2月に(株)第二大同電気製鋼所の創立総会が開催され、3月に会社設立の登記を完了。そして、同月15日に新設する工場は「星崎工場」と命名され、工場の建設がスタートしました。

星崎工場地鎮祭(1937年)
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