星崎工場 操業開始

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星崎工場 操業開始

星崎工場建設にあたり、当時30代半ばの石井健一郎(のちに第8代社長に就任)が工場用地の買収、埋立てから機械設備の発注、据付に至るまで実質的責任者として指揮を執りました。1937年6月末には事務所、倉庫、10月末には工場建屋も完成し、11月には主要機械の一部据付けまでを終えました。

変電所(1937年)
建設中の製鋼工場(1937年9月)

12月に入ると製鋼工場に10トン水圧式大同メタルス式アーク炉1基が据え付けられ、試運転が始まりました。同月、臨時建設部は廃止され、当社の組織に「星崎工場」が正式に加わりました。当時の星崎工場の従業員は約350名、敷地も約78万m2にまで拡張していました。

大同メタルス式アーク炉火入式(1937年12月)

そして、当初の予定どおり資金調達の関係から別会社を設立して工場を建設し、その工事が完了する頃に当社に吸収合併する方法を選択しました。まず、1937年10月に(株)第二大同電気製鋼所と、熱田、築地両工場における鋳鋼品、鍛鋼品の増産を狙って拡張用地取得を目的に9月に設立されていた(株)名古屋電気製鋼所(創立時の(株)東邦電気製鋼所から商号を変更)の合併仮契約を締結、1938年3月には2社を(株)大同電気製鋼所に合併する手続きを終えました。

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