満州、朝鮮に進出

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満州、朝鮮に進出

軍需増大に対応する中、当社は海を渡り満州、朝鮮にも進出しました。

当社が砂金採取船の製作事業に乗り出した際の満州進出が縁で、1939年には満州採金(株)と一緒に採金船の修理を担う満州鉱機(株)を設立しました。ハルビン郊外に鋳鋼を主体とした工場を建設し、採金船の修理と部品製作の作業を開始。しかし、軍需産業を中心とした情勢に移行する中、砂金の需要が減少したため、同工場も鋳鋼品を主体とした事業運営にシフトしました。

満州鉱機(株)ハルビン工場建設用地(1939年)

それより先の1937年、当社は股份有限公司奉天機械製造所設立時に同社の株式を取得し、満州進出への足掛かりとしました。翌年、日本政府が資源開発を目的に半官半民の会社を設立するにあたり、趣旨に賛同した当社は出資を決断。そして、同年誕生した東辺道開発(株)が採掘する鉄鉱石を購入し、海綿鉄を製造する計画を実行。さらに東辺道開発(株)では海綿鉄から特殊鋼を製造する事業を企画、満州特殊鋼(株)の設立構想が持ち上がりますが、実現には至りませんでした。

しかし、満州特殊鋼(株)設立構想は完全に消滅したわけではなく、朝鮮の地に舞台を移し、豊富な電力、鉄鉱資源を利用する朝鮮製鉄(株)を1941年に設立しました。約336万㎡の土地を購入し工場の建設が進められ、1943年11月に火入れ式を敢行。従業員1,200人で生産を開始したのも束の間、本格的な生産には至らず、敗戦とともに工場の火は消えました。

朝鮮製鉄(株)建設部員(1942年)

朝鮮には、鉄鋼二次製品加工を主な事業とし、1943年に設立された朝鮮大同製鋼(株)も存在しました。当社と1941年に合併した富永鋼業(株)が、その前年に開設した朝鮮出張所を母体とします。同社の工場ではショベルに使われる鋼板、棒鋼類を生産。従業員700名を超える会社に成長しましたが、朝鮮製鉄(株)同様終戦後には厳しい現実が待ち受けていました。

朝鮮大同製鋼(株)仁川第1工場(1941年)
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