朝鮮動乱勃発により業績好転

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朝鮮動乱勃発により業績好転

1950年6月25日に勃発した朝鮮動乱は日本経済に特需をもたらしました。トラック、機関車、レールなど鉄鋼に関係した重工業製品の生産が同年秋ごろから急速に増大。鉄鋼需要を喚起した朝鮮動乱は、鉄鋼業界にとって起死回生の役割を果たしました。特需に限らず、日本経済の拡大により、戦前軍需向け一辺倒であった特殊鋼市場は、基礎的生産財の素材として急激に拡大を遂げました。

朝鮮動乱は当社の業績にも追い風の役割を果たしました。1950年2月に9,100万円からスタートした星崎工場の出荷額は9月に2億円を突破、1951年6月には4億6,300万円と、新大同製鋼(株)として再出発した当初に比べ5倍以上の伸びを見せました。また、築地工場も鉄道向けマンガン鋳鋼品や車両、自動車向けの鋳鍛鋼品の伸びにより再出発時に2,600万円であった出荷額は、1951年6月には1億2,000万円と、星崎工場同様5倍近くに急拡大。その他の工場も朝鮮特需の恩恵にあずかり、全社的に受注量は大幅に続伸しました。

全社の売上高は、再出発時の1950年2月に1億4,700万円でしたが、同年9月に2億1,200万円に到達するとともに、戦後初めて黒字に転換。1951年6月には6億5,500万円を記録するほど驚異的な伸びを見せ、第3期(1951年3月31日)には復配し1割5分を配当、第4期(1951年9月30日)には2割を配当するまでに業績は好転しました。

全社売上高の推移
467/570

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