第六代社長に末広幸次郎が就任

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第六代社長に末広幸次郎が就任

1946年12月に第五代社長の中村秀夫が退任して以降、社長の座が空席となっていたため、代表取締役で専務取締役を務めていた石井健一郎は日本興業銀行から末広幸次郎を招へいしました。末広は朝鮮動乱勃発の翌7月に当社に相談役として迎えられ、翌1951年1月16日に第六代社長に就任、再建途上にあった当社において数々の革新に満ちた施策を打ち出しました。

第六代社長 末広 幸次郎

鉄鋼需要を喚起した朝鮮動乱の勃発は、当社の業績を驚異的に押し上げましたが、その勢いは長続きしませんでした。1951年7月の休戦会談開催以降、日本経済も反動不況に陥ると、鉄鋼業のブームも陰りを見せました。当社においても、1951年6月をピークに需要が減退し、生産量も低下。また、7月から発生した電力飢饉は減産の決定的な要因となりました。

しかし、朝鮮動乱を機に、当社の生産は普通鋼から特殊鋼を重点とした内容に変化を見せ始めました。1951年夏ごろには特殊鋼の生産量が普通鋼を逆転し、売上も急上昇を遂げます。翌1952年には普通鋼の生産量を大幅に圧縮、戦後初めて特殊鋼メーカーとしての本来の姿に戻ることができました。それ以降も好不況の波を繰り返しましたが、鉱工業生産は緩やかながらも上げ基調を継続し、なかでも自動車工業、電気機械メーカーの成長に伴い、当社の売上、特殊鋼需要も増加傾向をたどりました。

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