知多工場の建設進む

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知多工場の建設進む

新工場の建設計画に基づき、当社はまず土地の造成から工事に着手しました。1961年3月16日に名古屋港管理組合臨時議会が開かれ、当社新工場の第2区進出が決まると、4月10日には同組合との間で新工場埋立地売買契約の調印が行われました。当社は第1、2期埋立建設用地として約69万m2を購入し、新工場が「知多工場」と命名された5月1日ごろには石積み仮護岸工事は約4割の進捗状況にありました。

埋立地売買契約調印(1961年4月)

5月下旬からは大型浚渫船を導入し、埋立工事をスタート。総数7隻におよぶ新鋭船を逐次投入した結果、10月末までには第1期計画の40万m2の埋立を完了しました。その間、9月8日には現地で地鎮祭を執り行い、製鋼工場、10月から分塊圧延工場の建屋基礎工事を始め、機械設備工事、付属設備工事も順調に進行。その後、12月10日に知多工場と陸地とをつなぐ道路も完成し、同月14日には立柱式が行われました。翌1962年1月1日には、総務課、作業課、技術課、保全課、製鋼課、圧延課などから構成される知多工場が発足し、経理部知多経理課も含め、6月には知多工場で働く従業員の数は200名を越すほどに増加し、全員一丸となり工場操業開始の目標に向かって業務を遂行しました。

埋立工事が進む知多工場建設用地(1961年8月)
地鎮祭での石井社長による鍬入れ式(1961年9月)
地鎮祭を記念し、ワシントニアロブスターを植樹(1961年9月)

そして、第2期計画の中、小型圧延工場の建設を早めるなど、第1期工事のすべてと第2期の大半の建設工事を同時に進めた結果、1962年10月には製鋼、分塊、鋼片圧延工場が完成。総合試運転を開始した製鋼工場では構造用炭素鋼、合金鋼、バネ鋼などの量産鋼種を中心に溶製を継続し、軸受鋼、快削鋼の溶解も1963年5月に2基目のアーク炉が稼働を開始するころから始まりました。

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