知多工場 操業を開始

topics

知多工場 操業を開始

知多工場

石積み仮護岸工事に着手してからちょうど2年が経過した1963年3月末までに、知多工場第1期および第2期工事を計画通り完了しました。月産2万トン能力の製鋼、6万トン能力の分塊圧延ならびに2万トン能力の製品圧延一貫生産体制の第1段階を確立し、同年5月13日に1,000名を超す来賓を招いて知多工場完成披露式を開催しました。

知多工場完成披露式(1963年5月)

特殊鋼業界は、国際収支の悪化、金融引き締めの悪条件が重なり、重苦しい状況下にありましたが、知多工場の建設はタイミングよく、幸いにも需要の伸びに支えられ、1963年10月には早くも製鋼2万トン生産の記録を樹立。旺盛な需要に対応するため、急きょ製鋼能力を中心に増強策を図り、約40億円の予算を追加し、同月20トンホットキュッポラと50トンアーク炉の増設工事に着手しました。また、この間に大形圧延工場均熱炉建屋、同精整建屋、小型圧延工場精整建屋の増設を完了しました。ホットキュッポラは1964年1月、50トンアーク炉は4月に火入れされ、知多工場の製鋼能力は月産2万8,000トンに増加しましたが、ホットキュッポラは経済界の変動にあい、1964年6月以降の稼働休止を余儀なくされました。

一方、製鋼工場ではケースヤードが1963年11月、スクラップヤードが1964年2月に完成し、近代技術の粋を集めた新鋭製鋼工場が完成しました。しかし、大型炉操業経験の乏しい従業員にとって、慣れない操業は苦難の連続でした。しかし、早期解決への努力を重ねた結果、1964年を迎えるころには、ほとんどの問題を解決し、本格的に高性能の操業体制を確立するに至りました。さらに1965年8月にはRH真空脱ガス装置を導入、1966年を迎えて安定操業期に入り、清浄で強じんな鋼の溶製に成功し、軸受鋼、中空鋼、ステンレス鋼、肌焼鋼などの品質向上に大きな威力を発揮しました。

分塊圧延機試運転のスイッチを入れる
石井社長(1962年10月)

また、分塊圧延部門においては1963年3月以降小型圧延機の試圧稼働を開始し、同年6月から2直稼働に移行、10月には月産2万トン体制に突入。そして、1965年から1966年にかけて分塊均熱炉各2ピットの増設が完成し、3万トン生産が可能となりました。そして、小型圧延工場も、1963年6月から2直稼働に入り、10月には製品量1万トンの大台に到達し、量的に最初の安定期を迎えました。次いで同年末ごろから高級鋼への製品範囲拡大を狙い、品質向上に重点を移行し、1964年5月には質的な安定期を迎えました。

小型圧延工場(1963年1月)

このように知多工場は最新鋭の設備を導入するとともに、管理面においてもコストの大幅な低減を図るため、少数精鋭主義による徹底した集中管理方式を採用し、管理業務を総合事務所に集約しました。そして知多工場は1965年10月に24,300トン、1966年10月には34,400トンと着実に生産量を伸ばし、コストダウンに寄与しました。

総合事務所
427/570

関連記事RELATED ARTICLES