第七代社長に里村伸二が就任

topics

第七代社長に里村伸二が就任

1951年1月、4年以上にわたり空席のままであった社長の座に末広幸次郎が就いたものの、残念ながら末広は就任後わずか数カ月で病に倒れ、闘病生活に入りました。末広の再起には時間を要することが判明したため、専務取締役の石井健一郎は新しく社長を迎えることを決意、日本興業銀行の川北頭取、富士製鉄(株)の永野社長のあっせんにより富士製鉄(株)常務取締役釜石製鉄所長を務めていた里村伸二を迎えることになりました。1953年8月29日、里村が第七代社長に就任、末広社長は会長に、石井専務取締役は副社長に昇格しました。

第七代社長 里村 伸二

里村社長の就任により、当社と富士製鉄(株)の結びつきは一層強まりました。同社とのつながりは旧名古屋陸軍造兵廠高蔵製造所の払下げを機に開始。高蔵工場で製造する砲弾の素材供給元選定にあたり、従来から線材ビレットを富士製鉄(株)から購入していたこと、また同社と当社がともに日本興業銀行系列であったことから、同行のあっせんのもと富士製鉄(株)に素材供給を依頼することを決定、その時から提携が始まりました。

463/570

関連記事RELATED ARTICLES