2016年4月25日大同 今昔物語

戦時中の生産高

太平洋戦争開始以降、軍・政府は特殊鋼の増産を強く求め、当社においても工場の買収、新設を進め、生産増強に努めました。航空機の度重なる増産要請に基づき、軍の特殊鋼需要は激増。1944年には軍需会社...

2016年4月21日大同 今昔物語

国内で関連会社の設立、資本参加を推し進める

軍需生産力を拡充するため、国内において工場の買収、新設に加え、関連会社の設立、資本参加を推し進めました。1936年には民需専門の圧延工場建設を目的に(株)第二大同電気製鋼所を設立し星崎工場を建...

2016年4月19日大同 今昔物語

満州、朝鮮に進出

軍需増大に対応する中、当社は海を渡り満州、朝鮮にも進出しました。 当社が砂金採取船の製作事業に乗り出した際の満州進出が縁で、1939年には満州採金(株)と一緒に採金船の修理を担う満州鉱機...

2016年4月18日大同 今昔物語

軍需増大に対応、工場の買収、新設進む

1941年10月に富永鋼業(株)を合併した翌月、当社は日本内燃機(株)製鋼部を買収。1918年に創立された同社は1937年にアーク炉などの設備を導入し、窒化鋼の生産を手掛けていました。新たに発...

2016年4月12日大同 今昔物語

富永鋼業(株)を合併、普通鋼板に進出

民需対応を目的に建設された星崎工場も、稼働開始翌年の1938年に軍の管理下に置かれました。鉄帽の生産を担当し鋼板が必要となると、富永鋼業(株)との合併話が持ち上がりました。 当時の富永鋼...

2016年4月11日大同 今昔物語

川崎、宮古、大江工場、相次ぎ操業を開始

自動車用、機械用、車両用バネの注文は日を追うごとに目覚ましい勢いで伸び、帝発工場の売上高は1935年の約140万円から、わずか4年後の1939年には450万円を突破するほど急増しました。 帝...

2016年4月8日大同 今昔物語

築地、熱田工場でも設備の増設相次ぐ

星崎工場にとどまらず、築地、熱田の両工場でも設備の増設が相次ぎました。 築地工場は1937年の水圧プレス導入により生産能力が向上。鍛鋼を中心に製鋼、調質設備の増強を実施し、翌年にはアーク...

2016年4月5日大同 今昔物語

星崎工場、矢継ぎ早に設備を拡充

1937年に操業をスタートした星崎工場は、翌年には高周波誘導炉2基、中型圧延機が稼働し、主に小型向け鋼片、丸棒鋼、平鋼の生産を開始しました。圧延設備については当初予定されていた築地工場の圧延設...

2016年3月31日大同 今昔物語

商号を大同製鋼(株)に変更

1938年6月27日、商号を(株)大同電気製鋼所から大同製鋼(株)に変更すると同時に、資本金を倍の2,600万円に増額しました。星崎工場が稼働を開始し、全社一丸となって躍進を遂げる“大同”にふ...

2016年3月29日大同 今昔物語

星崎工場 操業開始

星崎工場建設にあたり、当時30代半ばの石井健一郎(のちに第8代社長に就任)が工場用地の買収、埋立てから機械設備の発注、据付に至るまで実質的責任者として指揮を執りました。1937年6月末には事務...