2016年5月23日大同 今昔物語

星崎東工場を西工場に集約、熱田工場を閉鎖

新大同製鋼(株)発足間もない1950年2月15日には過剰人員の削減を図るため希望退職者の募集を発表し、3月15日までに退職を申し出た者に対しては退職金の一時払いをする特別措置を講じました。その...

2016年5月20日大同 今昔物語

「冬来りなば春遠からじ」新大同製鋼(株)創立の日に当って

1950年2月1日、新大同製鋼(株)創立当日、社長空席のまま代表取締役、専務取締役として新会社を背負った石井健一郎は全社に向け、力強く第一声を発しました。 「昭和25年2月1日はわれわれ...

2016年5月19日大同 今昔物語

新大同製鋼(株)誕生

長期にわたる労働争議の終息を受け、当社は再建を急ぎました。当初は3社分割の方針を打ち出していましたが、多数の従業員を抱えて苦境に陥った安城工場の閉鎖を決断、新大同製鋼(株)、大同鋼板(株)の2...

2016年5月17日大同 今昔物語

人員整理に抵抗、労働争議が発生

1949年2月にまとめた3社分割案には、総従業員9,718名のうち2,630名を整理する計画も含まれていました。整理対象者の選定にあたり、技能経験の浅い者、勤務状況の良くない者、勤続年数の短い...

2016年5月16日大同 今昔物語

会社再建案、6社分割から3社分割へ

終戦から1年が経過した1946年8月15日、会社経理応急措置法が公布され、当社も同法による特別経理会社に指定されました。同年8月11日午前零時を指定時として、資産、負債の新旧勘定区分を実施、以...

2016年5月12日大同 今昔物語

民需品の生産始まる

軍需用特殊鋼生産の道を閉ざされた当社は普通鋼、加工完成品部門に進出、民需品の生産を始めました。1945年10月から、星崎工場で農機具用鋼、大江工場はレンガ、車両修理、安城工場は唐鍬、備中鍬、つ...

2016年5月11日大同 今昔物語

終戦からの再出発

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾。第二次世界大戦は終戦を迎え、翌9月には連合国軍最高司令部(GHQ)が日本陸海軍解体、軍需工業停止を目的とした一般命令第一号、第二号を発令。当社に...

2016年5月6日大同 今昔物語

空襲激化、疎開を進める

名古屋地区の空襲は1944年12月に始まり、翌年7月まで継続。市街地の大部分が焼き尽くされるほどの大きな被害を受けましたが、当社も築地工場を皮切りにほとんどの工場が爆撃を受けました。名古屋市西...

2016年4月27日大同 今昔物語

大同工業学校、大同製鋼病院を設立

技能者、中堅技術者の自社養成を目的に大同製鋼技能者養成所、大同製鋼青年学校、大同製鋼専門技術者養成所と教育機関を相次いで開設した社長の下出義雄は東邦商業学校に携わった経験を生かし、社内のみなら...

2016年4月26日大同 今昔物語

技能者、中堅技術者を自社で養成

1937年の星崎工場操業開始をはじめ、築地工場などの設備拡充、各工場の新設に対応するため、工場従業員の獲得、技能者の養成は喫緊の課題となりました。1939年の工場事業場技能者養成令施行を機に、...